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寿司屋に懸ける

大切な農耕期間中に殺生や肉食を禁ずることで、農耕に支障をきたさず、たくきんのコメを期待するところに、その目的があったと理解する方が自然でしょう。
シカやイノシシは、禁止の対象になっていませんから、肉を食べること自体が禁じられたのではありません。 事実、古代・中世の遺跡などからは、肉を食べた形跡のある動物の骨がたくさん出土することは、動物考古学者のMさんが指摘しています。
私も古代・中世の文献史料から、そうした肉食の事実や以下論じることを、かつて紹介・分析したことがあります。 国家形成とともに肉食は排除されていった古代・中世においても、現実に肉は食べられていたのですが、この天武天皇四年の殺生禁断令を一つの起点として、しだいに肉食自体が否定される方向へと進みます。
つまり古代国家は、肉を犠牲としても、コメを確保する道を選択したのです。 古代国家の政策をみれば明らかな事実ですが、最も基本的な税金である租をコメとしたのです。
養老六(七三一)年の百万町歩開墾計画、翌年の水田開発を奨励した三世一身の法、天平一五(七四三)年の墾田永年私財法など、水田開発を国家として推進したのはこのためです。 しかも日本の班田収授法は、中国律令下の均田法を模範としながら、均田法では畑地も対象になっていたにもかかわらず、班田法では畑地は無視され水田のみがコメ作りの難しさがタブーを生んだ。

再三述べているように、コメすなわちイネは、撫職な植物ですから、ちょっとした悪収授された、という特徴があります。 おそらく生産性の高いコメは、述べたように、国家を形成するために必要な社会的剰余を蓄積しやすく、味覚や栄養価も秀れていたために、古代国家を成立させた人々の眼には、最も理想的な食料と映っていたものと思われます。
それゆえ彼ら支配者は、コメを力の源泉と考えて、水田稲作を国家の社会的な生産活動の基本に据えようとしたのでしょう。 日本には力餅・カウドンという言葉がありますが、たしかにコメは力の源でした。
いわばコメはスタミナ源であり、コムギ粉のウドンにコメの餅を入れたものを食べれば、力を得ることができたのです。 またコメを国家の財源としたことは、主税をチカラと読むことに、最もよく示されています。
こうしてコメを国家の基礎としたために、その生産に害をなすとみなされた肉が排除されたのです。

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